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たんたんの ストレンジャー ザン パラダイス 24

~聖地をめぐるとても個人的な記憶 ~ Vol.24

海を越えてやってきた呉の民の源流へ ~2~

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スピリチュアルな世界にあたまのてっぺんからあしのつまさきまでどっぶり
浸かって13年。その間に訪れた、記憶に残っている無数の聖地での体験を
かなりいいかげんな旅の記憶でつづったエッセイ。

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前回からの続きです。

前回の記事で、なぜ私が香港や上海、蘇州といった現在の中国南部に縁を感じてきたのか…、
繰り返し旅をしてきたのかについて、関連する情報を引用しながら、書き連ねました。

今回はそんな記憶が古い書庫から何百年ぶりに太陽のもとに晒された
古い書物のように明らかになっていく旅の体験を書きたいとおもいます。

上海、蘇州へ旅をしたのは2012年の10月でした。この年はなんといっても家族が
前橋から糸島へ移住した年で慌ただしさのなかでとても疲れていました。
「どこか、ふらりと旅がしたい…」
わたしはいつもそんな願望を心の奥底に秘めているのですが、
その頃はそんな放浪の思いが一層強くでていたのでしょう。
一人で上海に近々いたきい。しかし観光ではなく、なにもせずホテルにこもって、
ただぼーっとする旅をしたい。と言いました。
すると…意外にもすんなり受け入れられ、当初はそういうなにもしない旅だったので一人で行くか、
と思っていたのですがどんな経緯があったのかはもう覚えていないのですが、
結局妻と息子の三人で上海へ行くことになり、航空券とホテルを予約しました。
それが8月の半ばあたりのこと。
そのときはまだ蘇州を中心に中国全土で吹き荒れた反日デモはまだその気配すらありませんでした…。

ところが9月に入るといきなり領土問題できな臭くなり、中国各地で反日デモの嵐が巻き起こりました…。
「どうかな~まだ一か月あるし…」と私は様子を見ながら、
タロットで今回の旅をテーマにカードを引きました。
引いたカードは THE STARでした。
「…これから中止にはならないだろう」
そう直感しました。

上海の土を踏んだのは 10月下旬。
ちょうど福岡にいる時期だったので、
福岡空港から出ている国際線で行きました。

福岡・上海間は約1時間半。福岡・羽田間と変わりません。
むしろ上海のほうが近いかもしれません。
しかし当然のことですが距離は近いけれども、上海と福岡はまるで別世界でした。

夕方に到着してホテルにチェックイン。
通常ならば、たぶんその上海ではもっとも高級なランクに位置する
イギリス資本のホテルには日本人旅行客、ビジネスマンが
たくさん泊まっているはずでした。

しかし、どこをどう見まわしても日本人は私たち家族三人だけでした。
さらにホテルは私たちになぜか破格のサービスをしてくれました。
予約したのはスタンダードタイプの客室だったのですが、
なぜかスイートルームに通されました。

さらに宿泊中のクリーニングはすべて無料と言われました。
よほど日本人客が来ないのか、なんとか私たちにサービスして、
すこしでもイメージ回復を
したいという気持ちが伝わってきました。

その夜は名物の上海蟹を食しに出かけ、その帰りに黄浦江のナイトクルーズへ。
案内してくれたガイドの中国のおにいさんは、そのクルーズ船に私たちが乗り込むときに
「ちょっとしんぱい…日本語であまりしゃべらないように」と
笑顔の奥に不安そうな気配を漂わせながら言いました。

ガイドのおにいさんの言うとおり、その船に乗っている日本人は私たち三人のみ。
その日は土曜の夜で地方からの中国人観光客であふれていました。
どうみても500名はいました…。

20人くらいの米国人団体客はいましたが、あとはすべて声の大きい、
異様に元気な中国の田舎の人たちばかり。
とても従僕そうな表情の田舎から上海観光へやってきた人々は
私の妻をかなり冷たい視線で睨んでいるのを私は複雑な思いで観察していました…
なぜか私はスルーされているみたいでした。
いつものことなのですが、私は世界中どこにいっても正体不明の人間らしいのです。
香港に行けば、日本人観光客に英語で道を聞かれて、
ハワイへ行けば、日本人、米国人観光客に英語で道を聞かれ、
パリに行けば、アフリカ人やスペイン人、中国人に
やはり英語やフランス語で道を聞かれる…。
いったいどこの人間だと思われているのかは不明です。

だいたいどこの国に行っても私は国籍不明にみられる率が高いのです。
よく現地の言葉で道を聞かれたりします…。

そんなかなり緊張感のある状態でスタートした上海でのバケーション。
当初、なにもしない予定の旅だったのですが、
いつの間にかハードスケジュールの旅に変わっていました。

二泊三日の弾丸旅行。真ん中の一日はどういうわけか上海から100キロくらいのところにある
蘇州へ日帰りでいくことになりました。

出発する一週間前、妻が買っていた旅行ガイドブックをなにげなく読んでいたら、
とても美しい蓮の池のある古い庭園の写真に目が釘づけになりました。
その庭園の風景は私が過去生退行でよく見る中国でのいちばん好きな風景に似ていたのです。
蓮の花が咲く優雅な中国式庭園。20代のころからその風景を見るたびに私の胸に郷愁が
よみがえってきました。

私はなぜか蓮の花が大好きで、バリ島に通っていたころも、
山間部のウブド村にある「ロータスカフェ」という有名なカフェが
大好きになり、ウブドに行くとかならず一回は食事にでかけていました。
そのカフェの店内は広い庭園になっていて、庭園には蓮池があるのです。
その蓮池を眺めながらコーヒーを飲んだり、食事をするのが大好きで
その蓮をテーマに絵を描いたり、あるいはいつか自分でなにかのお店をつくることになったら
店名にはかならず「ロータス」を使おうと思っていたほどです。

結果、カーサロータスという名前になったわけです…

前置きが長くなりましたが、なにげなく眺めていたガイドブックのなかの巻末にある
「上海から日帰りで行ける観光スポット」ページに私は目が釘付けになった理由は、
まさに蓮池のある蘇州の世界遺産「留園」「拙政園」などの蘇州の古典園林。

ウィキによると…

「蘇州古典園林の庭園の多くは明の時代に建設された。
これらの多くは地元の名士により作られたもので、公共事業としてではなく、
個人の趣味で置かれたもので、皇帝所有の庭園である皇家園林に対して私家園林という。
庭園は豊かな水を利用し、池を配置した素朴な美しさを特徴とする。
蘇州以外の江南の地にある名園(例えば上海の豫園)を含めた“江南私家園林”が総称として中国国内では一般的である。」

とあります。

私家園林…つまり昔の中国のお金持ちたち…、ということは
皇帝に仕える高級役人がたんまり懐に入れた賄目でつくった庭園なのです。

その庭園に私は直接なにかつながりがあると感じたわけではなく、
ただ行ってみたい…という衝動だけで行くことになったのでした。

上海に到着した翌日、早朝に起きた私は家族とともにチャーターしたクルマで蘇州へ
向かいました。

その日、蘇州を案内してくれるガイドは、李さんという若い女性でした。
当日のコースは蘇州の世界遺産「留園」「拙政園」、
中国のピサの斜塔と呼ばれている「虎丘の雲岩寺塔」。
そして唐代の詩人張継(ちょうけい)が詠んだ漢詩「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」の石碑で知られる寒山寺。

この古寺は唐代の詩人張継(ちょうけい)が詠んだ漢詩「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」の石碑が  あることで知られる古寺。寒山(かんざん)と拾得(じっとく)、二人の仲の良い行者の話で有名なところ。

しかし、どの場所も今回訪れるまではまったく知らない場所でゆえになぜいきなりこんな場所に来たのか…と
自問しながらの旅となったわけです。

とくに「留園」と「拙政園」は、やはり過去生退行で何回となく見てきは
古い時代の中国式庭園のビジョンそのままだったので、
とにかく実際に見てみたいという気持ちだけで行くことにしたわけです。
それで実際行ってみてどうだったか…。

それはまた次回。

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