~聖地をめぐるとても個人的な記憶 ~ Vol.22 イスラムとカトリックの交差点で垣間見た幻影 ~3~ スピリチュアルな世界にあたまのてっぺんからあしのつまさきまでどっぶり 浸かって13年。その間に訪れた、記憶に残っている無数の聖地での体験を かなりいいかげんな旅の記憶でつづったエッセイ。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 前回からの続きです。 アルハンブラ宮殿内にあるホテル、パラドール・アルハンブラでの記憶をめぐる旅の回想録、3回目です。 アルハンブラ宮殿は、スペインのアンダルシア州グラナダ県グラナダ市の南東地域にある、小高い丘の上にそびえる目と鼻の先は海を挟んでアフリカ大陸というスペイン南部に建つ世界遺産でもある宮殿。その宮殿内の修道院をホテルとしたのが、私が宿泊したパラドール・アルハンブラです。 そのアルハンブラ宮殿内のだれもいない深夜の回廊で、じっと抱きしめあう男女のビジョンを幻視していた私は、もちろん肉眼で見えていたわけではないので、フラッシュバックするような断片的な映像を脳内で観察しながら、肉眼に映る現実の真夜中の宮殿のなかの情景を重ねてみつめていました。 瞬間的にふたりの関係は、公のものではない、ということはすぐに察しがつきました。
ただその時点で詳しい関係性を読み解くまでには至りませんでした。 しかし、次の夜、ふたたび不思議に幻視を体験し、
ひとつのストーリーがみえてきたのです…。 そのストーリーとは、イスラムの女性とカトリックの男性をめぐる物語です。 私が幻視していたそのふたりのようすは
とても静かでしたが、情熱にあふれていました。 だれもがその姿を目の当たりにすれば、
見とれてしまうような愛し合う男女が醸し出す
美しさと甘さが周囲の空気を満たしていました。 しかし、当然のことながら、
イスラムの教えとカトリックの教義の間にある深い溝をつなぐ橋はありません。 互いの背後に存在する圧倒的な信仰の対立が生み出している壁を
乗り超える道はありません。 ふたりは、真夜中の回廊で人目を避けながら、
密会するより、互いの体温や互いの思いを確認するときを持つことは
不可能だったのでしょう。 私が観察した段階では、女性は宮殿の王に使える
侍女のような存在であったようです。
ゆえに真夜中でも宮殿内を行き来することもありました。 一方、男性は近隣の王国から派遣された
政治的な駆け引きのメッセージを伝えに来た密使のような存在だったようです。 イスラム教とキリスト教の対立は、
いま現在もつづく地球的な対立ですが、
それはこのような男女間の愛のつながりにも大きな影を落としていたことは、
当時の私にとってとても強いインパクトを与えました。 当時の私にもイスラムとカトリックの対立の根深さは
わかっていました。
しかし、当時の封建社会において、
異教徒同士の愛情関係が実際にどんなものなのかは…まったく想像も及びませんでした。 ふたりが真夜中の回廊、
しかも人目に付きにくい場所で束の間の逢瀬を通して、
すべての思いを伝え合っている姿で、それがいかに勇気のいることなのか…ということが実感として伝わってきました。 公になれば、互いにスパイとして疑われ、
さらには神を裏切る者として裁きを受けなければならないでしょう。 それでもふたりは互いの思いをおさえることができずに、
こうやって、真夜中、ただ抱きしめあうことだけで
すべての思いを伝えようとしている…
それは、悲しくもとても崇高な愛の表現に見えたのです。 そしてこの崇高な愛を妨げている信仰とは、いったい何なのだ…
という疑問がでてきました。 神の愛を説くはずの信仰が、純粋な愛のつながりを否定するものならば、
その神の愛とは、どんな意味があるのか…。 いくつもの大規模な戦争が繰り返されてきた
中東と欧州の歴史をまつたく無意味にしてしまうほど、
ふたりの異教徒同士の愛のエネルギーは純粋かつ強力なエネルギーとして
私のハートのなかに流れ込んできたのを、
当時の記憶を振り返ることで思い出しました。 基本的にイスラム法によれば、
ムスリムは基本的にムスリムとしか結婚できないとされています。
とりわけ非ムスリム男性がムスリム女性との性的関係を持った場合は
現在でも中東の保守的なイスラムの国々では
石打ち刑を含む残忍な処罰が行われているようです。 まして、中世以前の封建社会での戒律はもつと厳しいものであったであろうことは、
想像に難くないでしょう。 私は日本人であるゆえに、民族的な信仰の支配力というものが、
実感しにくいポジションにいるわけですが、
同時にその緩い信仰に対する意識から、強固な一神教に縛られてきた人々の苦悩と葛藤、
とくに男女の愛を制限する信仰という欺瞞に対して、
とても客観的に観察することができたわけです。 たとえば私の愛するイタリア・ルネッサンス期の画家である
ボッティチェリの代表作である「ヴィーナスの誕生」は、
聖書ではなく、ギリシャ神話を題材した名作ですが、
その当時のカトリックの戒律では、女性の裸体を描くことはタブーとされていました。 しかし、ボッテチェリは当時のフィレンツェを支配する
メディチ家の庇護を受けていたため、
ギリシャ神話をテーマにした甘美な快楽主義的な絵画を描くことができたわけです。 しかし、当のボッテチェリ自身は、
敬虔なカトリック教徒であり、
現世の快楽や女性の肉体の美しさに惹かれるー方で、
肉体を悪魔のすみかと教えたカトリックの教えを信じきっていたために
強い葛藤を抱えていたともいわれています。 「ヴィーナスの誕生」の最大の魅力である全裸のヴィーナスが見せる、
恥じらいに満ちた表情は、
まさに彼自身の葛藤が良い形で表されているとも感じられます。 しかし、「ヴィーナスの誕生」を描いたあとのボッテチェリはしだいに
カトリックへの熱狂的な信仰へと傾いていたと言われていて、
最終的にフィレンツェに異教と腐敗を激しく糾弾するサヴォナローラが
修道院長として出現すると、
その教えに帰依するようになっていったようです。 さらに仏王シャルル8世の侵入をきっかけに、メディチ家が追放され、
サヴォナローラが独裁権を握り狂信的な改革が行われると、
ボッテチェリは贅沢品や美術品が広場に積み上げられて燃やされた場所に
自ら自作の絵を供出してこれを燃やしたと伝えられています。 その後、彼は画家としては自滅の道をたどっていくのです。
原理主義者の人生は、常に自己破壊的だという典型的な例でしょう。 最近、私はしきりに水瓶座の時代の到来をブログなどで書いています。
水瓶座の時代とは、自由・博愛・平等の文明の時代でもあり、
とくに「愛」に対する人類の概念が
大きく自由のエネルギーによって表現されていくだろうと感じています。 一方、いままで2000年以上つづいてきた魚座の時代での愛は、
圧倒的な権威が掲げる理想、正義に従う「愛」。 神、覚醒者とされる存在から教えられる愛の概念を信じることが
「愛」を生きるということ、男女の愛もその教えに従うことで
成就されると信じられてきました。 その「信じる愛」「契約の愛」の概念が崩壊するのが、いまという時代であり、
私たちは、自分自身のハートやインナーセルフとつながる愛を表現する時代に
入ったということです。 ちょうど、その時代と時代の端境期に、
イスラムとカトリックの境界線の場所へ旅した記憶がよみがえり、
こうやって文字に記したことも、単なる偶然ではないな…感じています。 つづく。