たんたんの 【ストレンジャー ザン パラダイス】 ~ 聖地をめぐるとても個人的な記憶 ~ Vol.34 台湾 縄文センチメンタルジャーニー・最終章 スピリチュアルな世界にあたまのてっぺんからあしのつまさきまでどっぶり 浸かって13年。その間に訪れた、記憶に残っている無数の聖地での体験を かなりいいかげんな旅の記憶でつづったエッセイ。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 前回からの続きです。 この原稿は、以前ブログに掲載した原稿をもとにあらたな記憶と
その後変化したわたしの視点での思いを変更加筆しています。 ですから、すでにブログで読まている方もあたらしい視点が
加えられたとおもって読んでくだされば幸いです。 ほぼ一か月前に起こった突然の熊本大地震。
地震発生の夜、わたしは都内にいて揺れを感じることは
ありませんでした。 しかし、連続して発生した大きな大地の揺れに
日本列島を貫くようにはしる中央構造線の存在を
わたしたちにあらためて知らしめました。 地震の起こり方にとてもおかしな部分があり
人工的な地震であるといった見解も多数みられました。 しかし自然要因、人工によるもの、どちらにしても
日本列島には巨大なプレート同士が生み出した断層が列島を
貫くようにして存在し、
龍脈のエネルギーをつねに緊張させている…というのは
変わらぬ事実なのです。 日本は龍脈の列島であり、
その龍脈は北はアリューシャン列島、南西は台湾までつながっています。
大地の女神ガイアはいよいよ大きく動こうとしています。
そして、その中央構造線は台北にまでつながっています。
つまり、プレートの境界線という視点でみれば
日本と台湾は一体でもあるのです。
つまり鉱物、鉱脈のレイラインでつながっている…。 数回にわたり過去の台北旅行での体験を書き綴ってきましたが
台湾のエネルギーを思い出しながら、あらためてその事実を
五感、そしてさらに高次の意識で再確認しました。 盤長姫命(イワナガヒメ)という女神がいます。
盤長姫命(イワナガヒメ)は別名を苔牟須売神(コケムスメ)といい、
福岡の糸島では細石神社(さざれいしじんじゃ)と
桜谷神社(さくらたにじんじゃ)の主祭神となっています。
糸島という狭い地域に盤長姫命(イワナガヒメ)を祀る神社が二社あるというのは
全国的にもとても珍しいらしく、
かの地が古代では女神を中心とした王国だったことを物語っています。
と同時に細石と苔牟須とくれば、
そのまま「君が代」の詩になってしまう
ところもとても興味深いところ。
さらに盤長姫命(イワナガヒメ)の名称はそのまま、
岩石、鉱物をイメージさせます。 一方、おなじ鉱物とつながる女神に奴奈川姫(ヌナカワヒメ)がいます。
奴奈川姫(ヌナカワヒメ)については、
まず大国主命の奥さんなのはだれもが知っていること。
さらにヒスイの産地である
新潟県糸魚川市があるエリアが誕生した女神です。
糸魚川といえば、ヒスイの一大産地であり、
なによりもフォッサマグナ…中央構造帯が通るラインです。
さらに興味深いのは天然放射能を放射する
姫川薬石の産地でもあります。
ヒスイもラジウム鉱石もフォッサマグナ上の
火山活動によって生まれた鉱物たちなのです。 つまり、奴奈川姫(ヌナカワヒメ)も盤長姫命(イワナガヒメ)も
ともに火山の岩石、鉱物の女神であり、
ギリシャ神話に登場する大地の女神ガイアのもうひとつの側面なのです。 台北にはこの鉱物の女神のエネルギーにつながる巨大なスポットがあります。
この台湾旅行でわたしたちが宿泊したホテルである
圓山大飯店…日本語表記だと円山大飯店となります。 ウィキによると、 円山大飯店(えんざん/まるやま-だいはんてん)は台湾台北市に位置する中国建築が特徴のホテル。剣潭公園に隣接し、台湾神宮の跡地に建設されており、台北のランドマークになっている。 円山大飯店に宿泊したのは、とくにオーダーしたわけではなく、
予算的な制限があって選ばれました。まあいつものように、偶然というか、
シンクロで決まったホテルでした。 そのホテルが台湾神宮の跡地に建てられたものという情報は
もちろんわかっていませんでした。 台湾神宮が鎮座していた剣潭山。 その場所にわざわざ建てられた円山大飯店。
その台湾神宮ですが…日本植民地時代、台湾は宗教も言語も日本による管理となりました。
もうとても少なくなりましたが、高齢の台湾の人たちは流暢な日本語を話せます。
つまり当時の台湾の人々は日本語をしゃべるように強制され、
神道の神々を崇めるように指導されていたのです。
その大元が台湾神宮なのです。 そこで台湾神宮を調べてみると…
もう見事としかいいようのないほどの流れになってきました。
主祭神は、北白川宮能久親王…そして開拓三神~大国魂命・大己貴命・少彦名命。
つまりここで、大国主命が登場です。これは北海道と同じ構図となります。
ということはどういうことか…。 北海道神宮での図式が、原住民のアイヌ、開拓民に対する祟神としての
大国主というものでした。
これをそのまま台湾神宮に当てはめると、
原住民であるオーストロネシアのさまざまな種族、
17世紀に清朝との戦いに敗れて大陸から移動した漢民族、
その漢民族を完全に倒してはじまった
清朝統治時代 の清の人々、さらに日本開拓民に対する祟神ということになります。 九州よりひとまわり小さい島でこれだけの民族の流入が行われてきたということに
まず驚きますが、それにもまして、その民族の怨嗟の歴史に大国主が関わっているという
ことにさらに私は驚きました。 加えていまはなき台湾神宮の跡地のホテル…大陸から逃避してきた大陸の王が立てた
お城に宿泊するという流れにも驚いたのです。
ではまずその円山大飯店と、
その豪壮な宮殿のようなホテルを建てた蒋介石について
書いてみます。 円山大飯店は、そもそも蒋 介石(しょう かいせき)が
宋美齢夫人へのプレゼントとして
建設された中華民国の迎賓館としての建物でした。
蒋 介石という人物は台湾政府の建国者。 蒋 介石(しょう かいせき、1887年10月31日~1975年4月5日)とは、中華民国の政治家、
軍人。第3代・第5代国民政府主席、初代中華民国総統、中国国民党総 裁。
国民革命軍・中華民国国軍における最終階級は特級上将(大元帥に相当)。
孫文の後継者として北伐を完遂し、中華民国の統一を果たして同国の最高指導者 となる。
1928年から1931年と、1943年から1975年に死去するまで国家元首の地位にあった。
しかし、国共内戦で毛沢東率いる中国共産党に敗れ て1949年より台湾に移り、
大陸支配を回復することなく没した。 そして圓山大飯店についての情報…。 台湾にある「圓山大飯店」。1952年、台湾神社の跡地に作られる事になった迎賓館だ。
創業者は、蒋介石の妻、宋美齢。共産党との内戦に敗れた宋美齢と蒋介石の夫婦は、
中国大陸から逃れ、台湾で臨時政府を開いた。このホテルには、中華民国の威信を
世界にアピールする目的があったのだ。真っ赤な柱に、金色の瓦という中国建築に
こだわって建設された。 ということ。 なんだか…中国大陸からのがれ、あらたな国をつくろうした
王・蒋介石と王妃・宋美齢の愛と悲しみから生まれたホテル…
という感じですね。 実際、宿泊してまず強く感じたのは、建物としての文化的価値の高さと
剣潭山エリア一帯から渦となって
立ち上るような高圧的なアースパワーエネルギーでした。
ホテル内はだだっ広くて、経済的という言葉とはもっともかけ離れている
「王族的豊かさ」に満ちていました。 したがって、本来ならば、薄暗い廊下などは空虚な気が漂うはずなのですが、
いるだけで全身が圧迫されているような強い気に満ちています。 インテリアは壮麗で、中国の伝統的な空間様式と装飾は中国の王朝文化を
そのまま凝縮したような美しさ。
随所に龍の彫刻が多用されていて、「龍宮」との異称をあります。
また龍以外にも石獅、梅花をふんだんに用い、
中国建築の特徴を全面に出した装飾となっています。 これらはなにを物語っているか…。 中国大陸から台湾へ越境して移住した人たちは国民党支持者たちが中心です。
国民党支持者は中国共産党支持者と対立する商業に従事する人たち、あるいは芸術家や
資本家たち、貴族・王族も含まれています。 そういった人たちのなかの専門家が建築したのですから、当然、風水の知識、
陰陽五行による設計思想が細部にわたり、組み込まれています。
ゆえに敷地から建築物まで、あらゆる場に龍のパワーや
エレメントのパワーを完全に取り込んでいることでしょう。 さらに…このホテルの地下には地下道があるいわれています。
その公にはされていない地下道は円山大飯店が政治色が強いホテルであり、
過去の歴史において常に大陸との緊張関係にあった
国民党と中華民国のさまざまな体制の危機に備えた設備だとおもわれます。 全長180mの地下道は蒋介石総統時代に建設され、
1963年の改築の際には東西2本の地下道が設けられ、滑り台も設置されいました。 地下道はホテルから剣潭公園と北安公園に連絡していますが、
現在一般公開はされていません。
建設後しばらくは台湾の迎賓館として利用されていて、地下道は国家迎賓館としての設備、
背景と言う面が強いと言えるでしょう。 そんな中国という巨大な人口と領土を持つ多民族国家の歴史のなかから
生まれたホテルである円山大飯店。
いまや台北はアジアにおける経済と産業の最先端都市のひとつであり、
世界中から訪れるエグゼクティブ需要に対応する
ウエスティンやオークラなど数多の外資系高級ホテルが市内には林立しています。 そんな台北であっても円山大飯店の存在は格別で、だれもが台北に訪れれば、
一度はその圧倒的な姿を見ることになります。
まさに台湾の国家的象徴ともいえる建築物なのです。 その国家的象徴であるホテルが建つエリアは、そもそも大日本帝国による植民地時代は
台湾神宮が鎮座していた場所であり、
その背後には新投北温泉というラジウム温泉として有名な名湯、
さらに台北の繁栄を支えているボルテックス、陽明山が控えています。
このロケーションをみても、円山大飯店の建つエリアが相当の
エネルギーボルテックスだ ということがわかります。 七年前に私が台北を訪れたときには、陽明山に登ってハイキングをして、
さらに陽明山温泉にも入り、その猛烈なアースパワーを実感しました。
そして今回は後でまた詳しく書きますが、世界的なラジウム温泉地である
新投北温泉にも入ってきました。 つまり、円山大飯店もいまはなき台湾神宮も
台北のもっとも重要なエネルギーボルテックス
に建てられたということになります。 そもそも台北市自体が綿密に計算されてつくられた
一大風水都市であることも忘れてはなりません。その最重要スポットのひとつが
剣潭山から陽明山にかけてのエリアなのです。 さらにおもしろいことに気づいたのですが、
原稿を書きながら気付いたのですが、もともと台湾神宮が鎮座していた
剣潭山に建つ圓山大飯店…日本語表記だと円山大飯店の「円山」と
札幌の北海道神宮が鎮座する円山公園の「円山」はまったく同じ字面なのです…。 これは私の直感なのですが、
円山大飯店と台湾神宮のあった剣潭山は、台湾原住民における
アイヌにとっての「インカルシベ」のような山だったのでは…。 そう…インカルシペとはアイヌ語で、「いつもそこへ登って、敵を見張ったり、
物見をしたり、行き先きの見当をつけたりする所」という意味であり、
「インカルシペ」はアイヌにとっては「神山」でもあったわけで
とうことは、剣潭山は台湾のネイティブの人たちにとっての「インカルシペ」で
「神山」だったとも推理できます…。 やはり神宮を建立する際に、
日本の呪術師は台北最高の聖地、エネルギーボルテックス
を選定したのでしょう。 さらにその神宮を選んだ意図をひろげるなら、
アイヌの人々の源流は、台湾の原住民とつながる可能性すら
ある…ということになります。
ということは…わたしがこの台湾で最終的につながったエネルギーは
日本列島から中央構造線を南西に下っていき、
気づいたら北の大地の先住民の姿を
みつけた…ということになるのです。 いったい、日本人とは、日本とは
どこからきて、どこへ向かって歩いているのか…。 謎を追えばおうほど、
ミステリアスに歴史の迷宮へはまり込んでいくようです。 そしてその迷宮にはいったわたしは
先日、京都で意外な出口をみつけたのでした。 次回は四年前の台湾 縄文センチメンタルジャーニーから
2016年、初夏の京都でつながった日本人のさらに深い迷宮の旅について
書き記したいとおもいます。 つづく