~聖地をめぐるとても個人的な記憶 ~ Vol.21 イスラムとカトリックの交差点で垣間見た幻影 ~2~ スピリチュアルな世界にあたまのてっぺんからあしのつまさきまでどっぶり 浸かって13年。その間に訪れた、記憶に残っている無数の聖地での体験を かなりいいかげんな旅の記憶でつづったエッセイ。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 前回からの続きです。 アルハンブラ宮殿内にあるホテル、パラドール・アルハンブラ。 アルハンブラ宮殿は、スペインのアンダルシア州グラナダ県グラナダ市の南東地域にある、
小高い丘の上にそびえる城塞宮殿。 目と鼻の先は海を挟んでアフリカ大陸というスペイン南部に建つ世界遺産でもあるアルハンブラ宮殿。
この歴史的建築物についての文献を調べると、この城郭は宮殿であると同時に
城塞の性質も備えている建物で、内部には住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、
浴場、墓地、庭園といった様々な施設を備えられていた…とあります。
宮殿内の大部分はイベリア半島最後のムスリム政権・ナスル朝の時代に建設されたもので、
イスラムの王様であるスルタンの居所として用いられていました。 スルタンは月曜と木曜にはアルハンブラのある丘の上で地域の人民に対し、
コーランの10章とムハンマドの言行録の一部を朗読したといわれています。 建築の特徴としては、レンガ、木材、練土などが使われていて、
ヨーロッパの建築に多様されていた彫刻を施した石材などは最低限しか用いられていません。
宮殿の中心は、いくつかの建造物に囲まれた中庭で、他のイスラーム建築と同じ構造で、
宮殿内には水路と噴水がたくさん配置されています。 グラナダにイスラム王朝が存在したのは14世紀まで。
1232年、アンダルスの支配者の一人、ムハンマド・イブン・ユースフ・イブン・ナスル(アル・アフマル)は
王を名乗り、1238年にグラナダに王国(ナスル朝)を建国し、
ムハンマド1世として王朝をつくりだします。 それから約250年間、ナスル朝グラナダ王国は、
イベリア半島における最後のイスラム王朝として存続し、経済・文化が繁栄。
アルハンブラ宮殿は、ナスル朝時代に建てられた王の城だったのです。
しかし、15世紀末にカスティーリャ王国とアラゴン王国が連合王国となると、
ナスル朝支配地への征服が始まり、1492年1月2日にグラナダが降伏してナスル朝は滅亡。 その後、他宗教にも寛大であったナスル朝のグラナダには、
当時キリスト教世界で弾圧されていたユダヤ人も多く存在していましたが、
レコンキスタ完了後は、スペイン異端審問と呼ばれたキリスト教徒によるユダヤ人の虐殺が行われ、
多くのユダヤ人がイベリア半島から去ったといいます。
そうしたユダヤ人は、オスマン帝国などで保護され、経済発展を支える一勢力になっていきます…。 つまり、私が宿泊したホテルは宮殿内の15世紀、
ナスル朝が終焉を迎えた後に建てられた修道院をホテルとして改装したもの。
しかし、イスラムの宮殿のなかにあるため、ホテル内の装飾以外の宮殿のさまざまな場所は
いまでもイスラム建築様式の装飾で埋め尽くされています。 とくに有名なライオンの中庭、黄金の間、アラマヤスの中庭、コマレス宮…など、
眩暈がするようなイスラム建築の美を堪能できる空間が随所にひろがっています。 不思議なのは、私はなぜかこのアルハンブラ宮殿を2回訪れていて、
そのたびにとても懐かしさを感じたのです。 とくにライオンの中庭、黄金の間、アラマヤスの中庭、コマレス宮などの有名なイスラム様式の
空間を歩いているとなんとも言えない心地よさを感じました。 そんなとき、ふと私の脳裏に、不思議な光景がよみがえりました。
それは、美しいイスラムの女性と敬虔なキリスト教徒の男性が抱きしめあっている光景でした。 だれもいない夜の回廊で、ふたりはじっと抱きしめあい、
ただその瞬間のよろこびを分かち合っているようでした。 もちろん、言葉はありません。 ふたりの関係は、公のものではない、ということはすぐに察しがつきました。 しかし、なぜ、ナスル朝の王宮で、異なる神を信仰する男女が
お互いの愛情を確かめ合うようにして抱きしめあっていたのか…
その理由までは思い出せませんでした。 なにしろ、私はまだ30代半ばで、現在のような仕事ではなくコピーライターを生業としてたので、
まるでたまたま偶然見た不思議な光景のひとつ、のような感覚で
その意識の奥底からよみがえってきた記憶を眺めていただけだったのです。 しかし、その夜、さらに不思議に幻視を体験することになり、
ひとつのストーリーがみえてきたのです…。 つづく。