聖地をめぐるとても個人的な記憶 ~ Vol.20 イスラムとカトリックの
交差点で垣間見た幻影 ~1~ スピリチュアルな世界にあたまのてっぺんからあしのつまさきまでどっぶり 浸かって13年。その間に訪れた、記憶に残っている無数の聖地での体験を かなりいいかげんな旅の記憶でつづったエッセイ。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 父親が旅行好きで、とくに毎年最低2回は海外旅行をしていたせいで小学生の頃から、いろいろな場所へいっしょに旅行をしてきました。 ヨーロッパへはじめて行ったのは、父親と二人の旅行で、フランス、スペイン、イギリスを巡った旅でした。19歳の大学2年生のときだったと記憶しています。 その後、スペインへは確か記憶が正しければ2回ほど行ったと思います。 そのなかでの記憶を書き連ねようと思います。 グラナダへは2回行きました。 一回は父親と、二回目は妻のひとみと。 二回目のひとみとのグラナダの旅では
たまたまアルハンブラ宮殿のなかにある国営のホテルである
パラドール・グラナダの予約がとれ、3泊ほどしたような記憶があります。 なにしろもう20年前の30代前半の頃の記憶なので
あやふやなので、確かなことはかけないのですが、
とてもミステリアスなホテルだったのははっきりと記憶してます。 アルハンブラ宮殿については、ウィキの情報を一部抜粋してご紹介します。 『アルハンブラは構造的には一つの城塞都市であるが、当初から全体の形が計画されていたのではない。異なる時代に建てられた様々な建築物の複合体であり、時代により、建築様式や形状などが異なっている。その前半はムーア人王朝の栄枯盛衰と共にあり、9世紀末イベリア半島南部を版図としていた後ウマイヤ朝末期の、アルカサーバと呼ばれる砦が原形であると言われている。これは、アラブ人が農民の反乱軍からの防御壁として築いたものである。』 …つづきはこちらで。 アルハンブラ宮殿を訪れた経験のある方はたくさんいらっしゃると思うのであえて、細かいことは書き記しませんが、重要なポイントはイスラム文化による城塞都市である点に尽きるとおもいます。 宮殿の外観はとても質素で、そこに王族が住んでいるとは感じさせない地味な雰囲気なのですが、城内に入るとそこはもうイスラムの鮮やかで豪奢に世界が広がっているわけです。 …私とひとみは、そのイスラムの宮殿に宿泊することになったのですが、旅行前にいろいろ調べてわかったことでいちばんドキドキしたのは、この宮殿内のパラドール・アルハンブラの客室には幽霊がでる部屋があるという情報でした。 その情報には何号室というところまでは書かれていなかったので、「ひょっとすると幽霊のでる客室に宿泊することになるじゃん!」ということになり、かなりドキドキしながら、空港からホテルら向かったのでした。 グラナダの古い街を見下ろす小高い山に、まさに君臨するように立つアルハンブラ宮殿。確か、そのときはロンドンからのトランジットでバルセロナで数日過ごしてその後、バルセロナからグラナダ空港へ着いて、VWパサートのタクシーに乗って宮殿へ向かったと記憶してます。重厚で古びた城門を潜るとグラナダの古い街並みを見下ろすファサードへ到着しました。
フロントで予約していることを告げて、ホテルのボーイに案内されて、客室へ向かいました。
ホテルはアルハンブラ宮殿内の修道院をホテルにしたもので、内装は修道院の状態をそのまま保存しているようでした。
長い回廊、タイルと中庭が施設のいたるところに連続するような配置されていました。 案内された客室はとても重厚な雰囲気で、ひょっとするとこの部屋が幽霊の出る部屋なのか…とも感じられる重くて密度の濃い静寂さが空間を満たしていました…。 そして、私がそのあと、ホテル内で体験したのは、ヨーロッパとイスラムの長い対立と葛藤のエネルギーでした…。 つづく