LE GRAND BLEU by カーサロータス

たんたんの ストレンジャー ザン パラダイス 29

~ 聖地をめぐるとても個人的な記憶 ~ Vol.29 台湾 縄文センチメンタルジャーニー  3 29a スピリチュアルな世界にあたまのてっぺんからあしのつまさきまでどっぶり 浸かって13年。その間に訪れた、記憶に残っている無数の聖地での体験を かなりいいかげんな旅の記憶でつづったエッセイ。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 前回からの続きです。 太平洋地域のポリネシア、ミクロネシアからオーストラリアの先住民たちである オーストロネシア語族は日本の縄文人のルーツとなる人たちです。 原日本人である縄文人たちは太平洋やインド洋などのさまざまな地域から舟に乗って 太平洋の潮流により日本へと辿りつき、棲み始めた多様な種族であるということがいえます。 つまり、わたしがずっと追いかけている海人族=海神族=安曇族=出雲族の ルーツのひとつが台湾原人だということ。 ゆえに台湾の原住民も同様で、言い換えれば、台湾の原住民の文化を探究することは そのまま 私が台北の二度目の旅でもっとも重要だと考えていた目的地。 それは、順益台湾原住民博物館だったということの理由は前回の記事で書きました。 太平洋の黒潮にのって、ユーラシア大陸の東端に弓状に存在する 日本列島にやってきた原日本人のルーツのひとつとなる文明と民族の姿が その博物館には展示されていました。 館内の展示は4層の分かれたフロアにテーマごとに構成されていました。 その4つの展示フロアのなかでもっとも私が衝撃を受けたものがふたつありました。 まずひとつめがグランドフロアに飾られたいたヤミ(タオ)族が使っていた漁船です。 彼らはじぶんたちでつくりあげたとても精巧につくられた漁船で海に出て漁をしていたようです。 と同時に、太平洋の各地から潮流によって台湾...そして日本列島へ辿りついたのです。 オーストロネシア語族は海人族であり、高度な造船技術と航海術に長けていたようです。 そして、それらの漁船に乗り、黒潮の流れによって日本列島の九州南東岸へと やってきたのでしょう。 以前のブログ記事において、安曇族および出雲族はそのルーツを海人族にもち、 海を航行する技術を持つ人々であったという情報を記しましたが、 その情報を具現化するまさに「ツール」そのものが この博物館に展示されていたのは衝撃でした。 つまり、環太平洋やインド洋のどこかの島、あるいは北米・南米の海岸線からこの舟に乗り、 果てのないような航海へ旅立った人々は、海流に導かれるまま、 台湾から琉球、あるいは九州の太平洋沿岸から有明海周辺の海岸へ漂着し、 そこから長い時間をかけてグループごとに後に倭国、奴国となる九州北部へ、 さらには中国地方、近畿地方の各地へと移動定住したのではないのでしょうか。 そしてその一種族がのちに海人族の共同体である安曇族となり、 さらに半島、大陸から移民してきた民族と混血していき、出雲族へと発展していったのです。 安曇族のルーツともいえる龍蛇族とはそのようなオーストロネシア語族の血統へとつながる レムリアの末裔だった、ということです。 つまり彼らは、環太平洋のどこかの島、あるいは北米・南米の太平洋に面した 海岸線からじぶんたちの文明のシンボルである漁船に乗り、未知の場所へと旅立ったのです。 そのなかには当然女性も含まれていたのでしょう。 なぜかれらが豊かな森林に恵まれた故郷から旅立ったのかは謎です。 民族同士の殺し合いの文明はなく、あったとしても小競り合い程度の女系民族だった ポリネシアからミクロネシア、あるいはインディオの祖先である南米・北米大陸の民族たち。 台湾、あるいは九州に上陸後も母系大家族を核としてひとつの集落を形成していて、 茅葺屋根と囲炉裏を持つ、まるで近世以前の日本の農村の暮らしのかたちととても似た 文化を持っていました。 また衣服やアクセサリーは中国やインドなどの アジア大陸圏の表現よりもインドネシア、メキシコや南米の先住民の表現に近い 色彩表現、デザイン表現を用いていました。 これらのことは、やはり原日本人である縄文文明はアジア大陸圏のそれよりも 太平洋圏の文化に近いものがある、ということを示しているものです。 わたしにとって、彼らの文明が原日本人の縄文人たちの文明ととても共通点が 多いものであった… そのことにわたしは大きな衝撃を受けました。 そして、ふたつめの衝撃をうけたもの…。 それは鉱物の鋳造技術に関することでした。 その鋳造技術はどこの種族のものかは記憶にないのですが、 銀を溶かし、なめしてつくった、くちが広く底が浅い鍋を逆さにしたような ヘルメットをつくるものでした。 両目にあたる部分だけ四角い窓をふたつつくった、とても素朴なヘルメットなのですが、 このヘルメットは悪霊から身を守るための重要な道具で、 銀をなめして形を整える技術を持つ人は各部族に一人か二人しかいなく、 とても重要な存在であり、かなりの報酬と引き換えにつくってもらっていた…ということ。 台湾原住民の文明では金属、あるいは鉱物を扱う技術を持つ者は特殊な存在であり、 さらに金や銀、銅、あるいは鉱物は、霊的力の強い物質として 崇められていたことがわかりました。 これは出雲族においても共通していることで砂鉄をあつめて鉄を鋳造する タタラのグループは出雲族のなかでも特殊な位置にあり、 王、女王と直接つながる人々だったようです。 同時にタタラに関わる人々は呪術に長けていたともいわれており、台湾原住民においても、 金属、あるいは鉱物を扱う技術を持つ者はシャーマニックな世界とつながる存在であり、 人々は金や銀、銅、あるいは鉱物は、霊的力の強い物質として崇めていたということも とても興味深い情報でした。 いずれにしても、近代的文明に属する私たちの視点からみれば、 原住民の「原始的」な文明を原住民たちは何百年、 あるいは数千年と、まったく進歩とは関係のない時間軸で 生きてきたことは驚嘆に値します。 つまり、「進歩」「変化」という概念から限りなく遠い、 「あるがまま」を受け入れる女性性の文明の 本質的かつ具体的なかたちを観られたということは とても意義深いことでした。 この「あるがまま」を受け入れる女性性の文明のかたちは、 まさにレムリア文明のベクトルそのものと私は感じました。 つづく 29b