~ 聖地をめぐるとても個人的な記憶 ~ Vol.31 台湾 縄文センチメンタルジャーニー 5 スピリチュアルな世界にあたまのてっぺんからあしのつまさきまでどっぶり 浸かって13年。その間に訪れた、記憶に残っている無数の聖地での体験を かなりいいかげんな旅の記憶でつづったエッセイ。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 前回からの続きです。 私が台北の国立故宮博物院で理解したのは、中国大陸が3000年の歴史のなかで
絶えず変化し進化しつづけてきた圧倒的な男性性のパワーを擁する文明であったのだ、
ということでした。 その最大のパワー、武器となったのは、いわずもがな文字の力、鉄のテクノロジー、
高度な複製技術です。 この博物院には保管されている膨大な量の美術品、工芸品、文物資料は
60万8985件冊ともいわれています。 博物院では3カ月に1回の割合で展示品の
入れ替えがありますが、全ての展示品が入れ替わるわけではないので、
全ての展示品を見るためには、200年余りかかると言われています。 3000年から2000年前の日本にはまだ体系的に組み立てられた文字文明は
もちろんなかったでしょう。 さらに製鉄技術も砂鉄からのもので、大陸のそれとはレベルが段違いでした。
まして複製技術に至ってはまったく存在していなかったでしょう。 なかでも文字文明の差異は、国家間にとって国のパワーを左右する
もっとも大きな要素だといえます。 文字を紙に書き記すことで、法律が生まれ、宗教が誕生し、
神話が伝えられるようになるのですから…。 つまりピラミッド型の権力構造を生み出す根源が文字のパワーのなかに
存在しているといってもいいのかもしれません。 古代中国の文明が古代の日本に流入することで日本の先住民文化が
根本的な変化をしはじめたのはなにより漢字の輸入によるところが大きいのです。 その古代中国における漢字文明の流れが故宮博物館では
とてもわかりやすく詳細に展示されていました。 展示フロアには文字の発達を漢字の原型がどのように変化し、完成していったのかが
視覚的にわかる、文字の進化のプロセスをアニメ化したビデオ展示があったのですが、
漢字を広大な中国全土に完全に普及させることで、中央の意思と思想、
そして信仰による多様な民族の思想の統一を図っていた流れが俯瞰的に展示されていました。 膨大な人口と多様な少数民族からなる中国大陸をひとつの国家として統合できれば、
それは圧倒的なパワーになります。 そしてその膨大な人口と多様な少数民族からなる中国大陸をひとつの国家として統合し、
武力による影響力へ変化させるためになにをしたか? 中国の歴代の王は、鉄、陶器、そして情報を流通させるための文字の印刷という、複製技術を
高めていくことで、アジア全体への覇権をつくりだしていったのでしょう。 なぜ、古代中国の王たちが古代日本に銅鐸や金印を授けたのか? それは鉄器の複製と印刷技術を誇示することで、
自分たちの優位性を確定させるためだったのだと私はおもいます。 まだ鉄器の複製技術もさまざまな情報を文字化し、印刷する技術もない縄文の日本先住民は
海を渡ってくる圧倒的な文明に畏怖すると同時に魅了されていったのでしょう。 そして、大規模な権力者同士の戦のたびに、大量殺戮から逃れてきた中国の人々は、
日本の原住民に受け入れてもらうために、持っているすべての技術と情報を与えて、
同化していったのです。 日本のユニークなところは、優位な外来種族と先住民との徹底的な対立により
優位な外来種族の植民地化が行われたのではなく、
ひたすら混血し、同化していったというところにあると私は感じています。 そして、台湾先住民も古代日本人と同じように混血、同化していったのです。
(もちろん、社会の細部でのさまざまな葛藤、軋轢はあったにせよ) そして、世界でも特異なさまざまな異文化を独自の文化へ変容させていく
日本のマニファクチュア、アカデミズム、カウンターカルチャーの素地が
そのあたりにあるのだとも感じます。 つまり、私が「順益台湾原住民博物館」と「国立故宮博物院」をつづけて観てまわった、
ということの意味は、女性性文明、受動性文明である先住民文化、あるいは縄文的文明と
男性性文明、能動性文明である大陸の皇帝文化、帝国的文明は
それぞれ相反しているにも関わらず、その陰陽ともいえる特性ゆえに
混血することで、あたらしい発展、あたらしい文化を生み出す、
ということなのではないか…ということ。 ただし、その陰陽の混合のエネルギーは常に互いが互いを尊重し合う状態でなければ、
あたらしいエネルギーを生み出すことはできないということ。 日本の歴史を振り返れば、そのことは明白でしょう。 私たちはあまりにも先住民族の文化文明を「利用」しすぎてきたのです。 つまり搾取し、抑圧しつづけてきたのです。 その結果としての北海道から京都、そして九州、琉球にまで
いまだ広く沈着している先住民たちの「怨念」の
強烈さであり、いまだ怖れられつづけている「祟り神」たちなのです。 今回の台湾で、そしてとくに「順益台湾原住民博物館」と「国立故宮博物院」を
つづけて観てまわったことによる最大の気付きは、そのことでした。 そして、その気付きは当然、われわれの今後の方向性、意識のポジショニングを
どうすればよいのか、ということをはっきりと示していると言わざるを得ないでしょう。 次回は台湾の大地にひろがる鉱物、クリスタルのエネルギーについて書いていきます。